いつもテーメーカフェの入り口付近にいて、日本人の間でもちょっとした有名人だったお婆さん、ヌッさんが亡くなったそうです。ヌッさんとの思い出を記しておきます。
テーメーカフェ名物になっていた「20バーツくれ!」婆さん
テーメーカフェ入り口の階段付近にいつもいる老婆。テーメーから出てくる客に対して「20バーツくれ」と挨拶代わりの物乞い攻撃をしてくるので、遭遇した人も多いことでしょう。
2016年にはすでにいなかったので、2015年に亡くなったことになるのでしょうか。2chの書き込みによると、自宅のトイレで息を引き取ったそうです。死因はわかりませんが、老衰による心不全といったところでしょうか。あまりにも突然の死だったのでびっくりしました。2011年時点で54歳と言っていたので、享年58歳ということになります。
もともとはテーメーカフェの店員だったのですが、客からチップをせびる行為が目に余るようになり、解雇されたようです。客から何かを盗んだためクビになったという説もあります。
クビになったあとも、ヌッさんはテーメーカフェへと自主的な出勤を続けます。店内には決して入らないものの入口付近で物乞い行為、あるいは女の子の荷物を預かるなどの便利屋的なこともしていました。
「20バーツくれ」攻撃でかき集めたチップは1日で500バーツくらいになることもあるそうです。あるとき、喫煙所に行くために何度も入り口まで出てきた私に何度も「20バーツくれ」と言ってきたので、「さっきあげただろw」とばかりに冷たくあしらおうとしましたが、根負けして1日に60バーツあげたこともあります。
しかし、チップをあげると近くのコンビニまでタバコを買いに行ってくれたりするなど、サービス精神旺盛な一面もありました。そんな彼女を私やその仲間は、愛着を込めて「テーメーババア」と呼んでいました。
会えば会ったで金をせびられるので、多少ウザいなとは思っていたのですが、一方でいない日は妙に気になるというか、心配になるという(笑)。なんとも憎めない人でした。
テーメーババアは何者なのか?
彼女がここまで熱心にチップをせびるのにはある理由がありました。実は家に引きこもりの息子がいて、彼を養うために日々、テーメーカフェへの自主出勤を続けているようなのです。当初は20バーツをせびられるたびに「鬱陶しいババアだ」と思っていましたが、その話を聞いて少し同情したのは事実です。
テーメーカフェの店員になる前は何をしていたのか、以前聞いたことがあります。もともとは(おそらく1970年代)ゴーゴー嬢であったようです。
他にはアラブ人相手にグレースホテルで働いていたとか、ファラン相手に3Pをしていたとか、スカトロで顔に糞を塗られたとか、といった「武勇伝」を話してくれたこともありました。おそらく、いずれにせよ水商売関連だったのでしょう。
テーメーカフェで働き始めたのはいつからかは不明ですが、90年代からではないでしょうか。90年代なかばには40代になっている計算ですから、娼婦として客を取るのがキツくなったのだと思われます。
そして2000年代なかばにはテーメーカフェを解雇され、自主出勤状態を約10年続けたことになります。
ヌッさんとの思い出
私がヌッさんを明確に個体認識したのは、2008〜2009年ごろだったでしょうか。2010年頃にはすでにいくつかのメディアに取り上げられて、日本人の間ではテーメーカフェのゆるキャラ的な存在になっていた記憶があります。
私は繰り返し20バーツをせびられるのをきっかけに、他愛もない雑談をするようになりました。「店の前にいるアイツはオカマだ」とか、テーメー嬢の派閥的なことを教えてくれたりなど、有益な情報を漏らしてくれることもありました。
あるとき私が暇そうにしていると、「どうだ、私を連れ出してみないか?」と誘われたこともあります。「500バーツ、いや200バーツでいいよ」などとやけに安い金額でした。
今にして思えば、あれだけ何度も遭遇していたのだから一回くらい連れ出しておけばよかったなと思っています。ブログのネタにしたかったので「買うかどうかはともかくとして、今度、アパートまで行くから撮影させてくれよ」と返事をして、快諾を得ていましたが、その約束は果たせぬまま逝ってしまいました。非常に悔やまれます。
ヌッさんはスクンビットの奥の方(オンヌットよりさらにチョンブリ県寄り)の安アパートに息子と二人暮らしで住んでいて、赤バス(無料のバス)でテーメーカフェまで通っていると言っていた気がします。
ヌッさんが連れ出されたのを一度だけ見たことがあります。テーメーカフェの前を通りがかった黒人が彼女となにやら二言三言、会話を交わしたあと、黒人がタクシーを止めて一緒に乗ったのです。
その瞬間、テーメー前にいた女の子やオカマ、男からいっせいに大歓声と大拍手が湧き起こりました。この光景はいまも忘れることができません。あの後、ヌッさんと黒人がどうなったのかわかりませんが、後日冷やかしたところ、柄にもなくちょっと照れていたのが意外でした。
その後も会うたびに「いつウチに来るんだ」と言われたりしましたが、いつでも会える感じがしたので、何も今じゃなくていいかなという思いが先行して、ついぞヌッさんの家に行かぬままでした。
車に足を踏まれて歩き方がおかしな時期があったり、たまに「疲れた」と弱音を吐いたりしていましたが、普段は明るく生きる力も強いように見えたのであまり気にしてはいませんでした。まさか死ぬなんて考えもしなかったです。
最後の方は「もう客は取れないし、性欲もなくなったよ」などと言っていた気がします。おそらく長年の疲労や気苦労がボディーブローのようにヌッさんの体を蝕んでいたのでしょう。
彼女のお陰で、後ろめたいはずのテーメーカフェ通いがどこか明るいものになっていたのも事実なので、大量にチップをせびられたとはいえ、やはり感謝すべきなのかなと思ったりもします。
ご冥福をお祈りいたします。